神風≠KAMIKAZE 【歴史】
どうも皆さん、さんそんです。
今日はパリでの自爆テロが欧米メディアで「KAMIKAZE」と報道されていること、そして特攻をテロと同一視している又はしようとしている人に対して思ってることを述べたいと思います。
このことをわざわざブログに書こうか迷ってたのですが、自分の考えをこうして文書として残すという意味でも書こうと思い立ちました。ただし、あくまで特攻作戦(神風)と自爆テロ(KAMIKAZE)の違いを説明するだけであり、本稿は特攻作戦を美化・奨励するものではありません。
まず、欧米メディアで今回の自爆テロが「カミカズ」(kamikazeの仏語発音)と呼ばれてることについて、率直に申し上げて、非情に腹立たしいです。
自爆テロと特攻が同一視されてしまいかねない表現であり、誤解を生む報道と捉えています。
自爆テロと特攻を同一視している人の多くは”自爆”というフィルターしか通さずに事象を見ている人が大半であり、自爆以外の点で両者が合致する所はありません。特に”攻撃対象”と”作戦背景”が大きく異なります。
・攻撃対象
よく言われることではありますが、自爆テロは
一般市民の殺戮
を目的としていることは周知の事実だと思います。
一般市民が無差別に攻撃対象となります。原理主義的宗教観念からすれば”異教徒だから”ということで攻撃対象となるのです。
これに対して特攻作戦の象徴である神風特別攻撃隊は
敵軍事力の排除
と目的がハッキリ違います。神風特別攻撃隊が攻撃対象としていたのは主に米軍の航空母艦でした。米空母の搭載機はそのまま日本本土を無差別銃爆撃するものであり、これを排除するというのが作戦目標となるため、攻撃対象は米空母となるのです。
ここで一つ皆さんに質問です。
無辜の民を虐殺することと、敵軍の軍事行動への対抗措置は果たしてイコールなのでしょうか。
特攻作戦と自爆テロを同一視したい方々はこの事実関係を軽視していますが、対象や目的が全く異なる2つの事象を同一視することがどれだけおかしいことなのかを改めて理解していただきたいと思います。
・作戦背景
どうしても特攻とテロを同一視したい人の中には
「両者には殉教的思想という共通点がある」
と指摘される方がいますが、こちらも間違いです。
そもそも”殉教”とは
「信仰する宗教のために自分の命を捨てること。」(大辞林第三版)
そして”殉教”という考え方は仏教を除く一神教世界で発生し、重要視されたことであり、日本で主流だった神道には”殉教”という考え方が存在しません。
そして、今回自爆テロを起こしたイスラム原理主義者における殉教ですが、コーランではジハード(聖戦)で死んだものは殉教者であり天国への道が約束されるとされています。
そしてイスラム教における天国に行くと”真の快楽”が待っているとコーランには記されています。美しい乙女とイチャコラし放題、鶏肉食べ放題、存命中は厳禁であるお酒が飲み放題・・・
結局は自分のための死です。
実際、2004年には「(殉教すれば)天国で72人の処女が待っていると言われた」と自爆テロ未遂で捕まった14歳の少年が話しています。
一方で特攻作戦は「志願制」という形を採っていましたが、実のところ「無言の強制」であるところが非常に大きいということが多くの元特攻隊員や元予備特攻隊員の証言から得られています。
もちろん、志願された方もおられるでしょうが、彼らの大半は、”逃れ得ない死”と必死に向き合い、自分の短い人生に何か意味を持たせようと苦悩に苦悩を重ねた上で散華された方ばかりです。
つまり自己犠牲です。
己のための死か、祖国や郷土、愛する者のための死か。
特攻作戦そのものは批判されるべきではありますが、作戦に従事した兵士諸氏を殉教と同列に並べることは、散華された御霊に対してたいへん失礼であると私は思います。
ついでに申しておきますが、特攻・自爆テロ同一視論者の多くは
「特攻は無駄死に」
と申していますがこれも大きな間違いです。
昭和20年3月26日から始まった連合軍の沖縄侵攻阻止のために旧日本軍は4月6日より「菊水作戦」という特攻作戦が開始されます。
この特攻作戦において、旧日本軍は約3千人の戦死者を出しましたが、対する連合軍は海上での対特攻作戦において
戦死者:4,907名
戦傷者:4,824名
撃沈:36隻
損傷主力艦艇:368隻
航空機損失:約800機
という戦果を挙げています。
損傷した艦艇には、日本の降伏調印式場となった戦艦「ミズーリ」や米最新鋭空母「バンカーヒル」などが含まれています。
これらの損害は沖縄戦直前の硫黄島の戦いと合わせ、日本本土上陸作戦における莫大な損害予想の計算元となり、本土上陸を躊躇わせたという点では決して「無駄死に」ではないと私は考えます。
最後になりましたが、冒頭でも述べたとおり、私は特攻作戦を美化するつもりはミジンコほどもありせん。
統率の外道、下策中の下策である特攻作戦は二度と行われて欲しくないものであり、これに従事せざるを得なかった将兵の方々の気持ちを思うと毎度こみあげてくるものがあります。
だからこそ、「死にたくない」という気持ちを抑え、愛する家族に対して限りない思いを込めた遺書を残して散華された特攻隊員の方々は称えられるべきではないかと思うのです。
このまま、神風=自爆テロという論調・誤解がまかり通れば、彼らもまた自爆テロを起こしたテロリストと同列に扱われてしまいます。現に特攻・自爆テロ同一視論者は同列に扱っています。
私は一人の日本人としてそれが到底耐え難いのです。
私の身内には特攻で散華された方はおりませんが、身内を罵られる想いなのです。
この私の気持ちが一人でも多くの方にご理解いただければと思い、今日の長々としたブログを示させていただきたいと思います。
ご精読ありがとうございました。
平成27年11月21日
さんそん
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