「捨てる」と「使わない」を混同するな【外交】【文化】
どうも皆さん、さんそんです。
更新に大きく間隔が空いてしまい申し訳ないです。
今日のブログのテーマですが、元ネタは今日の産経ニュースのとあるコラムです。
このコラムは新潟県立大学の袴田茂樹教授(実は広島県出身)が書かれているが、コラムの内容を簡単にいえば
日本の文化じゃ他所とは話できませんよ
ということです。
ごもっともだと思います。
隣国を見ても、日本とは言語も宗教も生活様式も社会構造も違います。
正義や常識というものは、置かれた立場や状況、日本的な言い回しをすれば"空気"によって変わってきます。
日本の常識は国内でしか通用しない
当たり前のようであまり周知されてないこの事は、外交のみならず、仕事で国外での事業などをする場合や、日本において国外の企業と共同でプロジェクトを進める時などにも必要なことです。
一番手っ取り早いのは宗教を勉強することではないでしょうか。
日本は古来より複数の宗教が生活の中にありましたので、生活様式と特定宗教の繋がりが薄いと言われる国ではありますが、外国のほとんどでは生活様式はおろか、道徳観でさえも特定の宗教と密接に関係しています。
橋爪大三郎著「世界は宗教で動いている」には
日本以外の大抵の国では、経済・政治・法律……社会生活を、まるごとひっくるめたものが「宗教」なんです。(中略)ゆえに。「宗教」を踏まえないで、グローバル社会でビジネスをしようなんて、向こうみずもはなはだしい。
(「世界は宗教で動いている」P.4 L8~11)
と記述されています。
宗教を勉強することが世界で戦うために真っ先に必要なことではないかと思います。
実はここからが私が今日、本当に言いたいことなのですが(笑)
この手の議論の際に注意しなければならないのは
”日本独自の文化を捨てる”というような結論に至ってはならない
ということです。
前述のように日本の常識は世界では通用しません。
しかし、これは決して”日本が世界に劣っている”という訳ではないのです。
むしろ
我が日本の言語文化は世界一ィィィ!
と私は思っています。
コラムにもあるように、日本の言語コミュニケーションは気配りというものが根底にあります。
私は気配りというよりも「遠慮」という単語のほうがしっくりくるのですが、
「遠慮」とは「遠きを慮(おもんばか)る」と書きます。
この”遠き”には「時間的な遠い将来」と「空間的な広がり」の2つの意味があり、相手とのこれからの人間関係を考えるということや、身分・役職・年齢などの”距離感”を考えるということに繋がります。(参照:致知2015年11月号)
日本語は世界の言語の中で最も一人称の多い言語です。
これは、相手との関係性や距離に応じて自分の立ち位置を変えるという手法・文化であり、これが言語的にできるのは私の知る限りタイ語しかありません。
(他にありましたらぜひとも教えて下さい!)
他の言語が固定1人称であるのに対して、相手の立場や状況に応じて様々なコミュニケーションが取れるというのは言語技術的に大変高度なものではないかと私は考えています。
その言語文化が「日本の外だと通じない」からと言って捨てるのは、他国の技術水準が自分のところと違いすぎて通じないから先進技術を捨てる、と言っているのと同義ではないかと思うのです。
相手を思いやることができる、これは日本が世界に誇る精神構造ではないのでしょうか。
営業スマイルと同じで、外に出るときは外向きのツールを使えばよいだけなのです。
「捨てる」のではなく「使わない」という考え方をまずは根底において議論を進めることが重要だと思います。
平成28年1月18日
さんそん
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