英語化は亡国への道?【教育】

どうも皆さん、さんそんです。

今回は嬉しいことに、ブログの読者の方からテーマのリクエストをいただきましたので、それについて綴っていこうと思います。

読者の方々で「○○についてどう思うか」というような意見等がありましたら是非コメントしてください!


今回のテーマですが、ズバリ

「英語教育について」

です。


18日の日本の言語文化(=国語)についてのブログを読んだ際に「英語教育についても書いてみてください」とのリクエストをいただきました。


まずは私の英語教育に関する意見をハッキリ言いますと

・初等教育から英語を導入すべきではない
・英語力の底上げではなく英語のスペシャリストを育てる教育をすべき
・海外留学の見直しをすべき

また、日本の英語化の流れに関しても言及すると

・社内公用語を英語に設定すべきでない
・英語特区は国策として誤りである
・スーパーグローバル大学はやり方を間違えている

・英語の勉強よりもCPサイエンスを強化し、翻訳AIの開発に注力すべき

・↑までのつなぎとして通訳の育成を行うべき

という考え方です。


まぁ、私の英語教育に関する考え方なんてのは、様々な書籍を読んできた中で

「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる」著:施光恒 出版:集英社新書

この本に凄く感銘を受け、これに記述されてることに私の意見がちょっぴり混じった程度なので、是非この本を購読することを勧めます。

私は前々回の「捨てる」と「使わない」を混同するな【外交】【文化】において、日本語が英語などの他国の言語に劣っているわけではないということを熱筆させていただきました。


言語というのはその国の文化や風習の結集だと思っています。

その意味でも、日本人としてのアイデンティティを形成する初等教育期間に他国の言語を学ばせることは、子供の脳の中に2つの文化が突っ込まれることを意味します。
これは、日本の文化や価値観、いや、「自分が日本人である」という意識のないアイデンティティ・クライシスに陥る可能性があるのでは、というのが私の考えです。


そもそも私は、英語よりも日本語教育や日本語の国際的地位向上の言語戦略に力を注ぐべきという考えなので、初等教育から英語に時間を割くのは非日本人教育と考えています。



また、私の親戚や知人・友人の中で、海外への留学や長期渡航・滞在経験のある方々の多くから

「どんなに勉強してもネイティブスピーカーには勝てない」

という意見を頂いています。

私の親戚で日本屈指の総合商社に努めている方がおり、香港やベトナムで今も働いているのですが、そこでの経験を聞くと「もっと日本を勉強しろ」と言われました。

海外に出ると、自国の歴史、取り分けて「建国の歴史」を知っていること、すなわち

「国際人」である前に「日本人」であること

が必要だというのです。


さて、これまでは日本語>英語という私の価値観を説明してまいりましたが、

英語化が与える日本人への悪影響

という観点でここからは話を進めます。


皆さんは「楽天」という企業をご存知でしょうか。まぁ、知ってますよねw

楽天は2010年に社内公用語を英語にし、これによって新規に採用したエンジニアの8割が外国人という状態が生まれました。

私はこれを「8割ぶんの日本人の雇用が奪われた」と考えています。


先に述べたように、どんなに勉強してもネイティブスピーカーには勝てません。

しかし、社内公用語を英語にすることによって、日本人はネイティブスピーカーたちが群雄割拠する戦場に放り込まれるわけです。
現行の英語教育の大半が「受験英語」の教育であるのですから、これでは勝ち目がありません。

これは英語特区や現状のスーパーグローバル大学にも言えるのですが、ネイティブで育つ環境が基礎にあった者がウヨウヨする中に受験英語マンが飛び込んだところでタコ殴り間違いなしです。差し詰め、

甲子園球場のライトスタンドに放り込まれた巨人ファン

みたいなものでしょう。

生粋の阪神ファンが相手では、巨人ファンと話が通じないこともあるでしょう。ならば、話が通じるように「翻訳」を強化すればいいのです。


本当はほんやくコンニャクを開発できたらいいのですが、今は21世紀ですので難しいでしょう。これから、ほんやくコンニャクじゃないまでも、翻訳AIを作成するまでには時間がかかります。

そこで、通訳の人材育成をより行えば、日本の文化を損なわずに異文化コミュニケーションや他国籍企業とのビジネスができるのではと考えています。

もともと、他国の言語は生半可な努力では身につきません。ならば、努力を惜しまぬ人がスペシャリストとなれるコースを作ってあげればよい、というのが私の考えです。

また、英語ができる人は海外に出て行ってしまうという現状もあるので、そういった人材を日本に引き留めておくためにも、むしろ大半の日本人が“英語に下手”であるほうが良いと考えています。


さらに、先ほどの楽天のエンジニアの新規採用の8割が外国人という話にも繋がるのですが、日本語を軽視することで日本の技術力が低下するのでは、と考えています。


日本原産の技術の源は技術者の努力というのもあるでしょうが、日本人の価値観、すなわち日本語が源泉だと考えています。


最も典型的な例が、小惑星探査機「はやぶさ」です。
下記のリンクの動画や制作された映画などを見ていただけると分かるのですが、「はやぶさ」の地球-小惑星イトカワ往復の間に様々なトラブルが発生するも、「こんな事もあろうかと!」という日本の技術力で見事に任務を果たしたことは皆さんもニュースのワイドショーなどで見聞きしていると思います。

<完結編>探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力


動画では宇宙戦艦ヤマトの真田技師長の名台詞「こんな事もあろうかと」を流用していますが、私はこの技術の源は日本語の言語コミュニケーションの根底である「遠慮」、すなわち「遠きを慮(おもんばか)る」だと考えています。

将来起こりうることを予測して対処する。これは日本語文化の代名詞です。


しかし、英語化が進み、日本語文化が薄れればどうなるでしょうか。

「はやぶさ」のような日本ならではの技術力は日本語文化の衰退に比例して低下していくのではないかと考えるのです。


長々と綴ってきましたが、如何でしたでしょうか。

読み返すと、英語教育というよりは日本の英語化に対する考え方を書いてるだけですね(苦笑)

教育方法よりも日本の英語化そのものに危機感を感じていると受け取っていただけると幸いです。


ただ、「技術立国日本」というスローガンを掲げる国が、オリジナリティあふれる技術力の源泉たる日本語よりも他国の言語を重視することは、自ら英語圏の植民地になろうとしているように私は思えるのです。

ですので、今回は「英語化」という大きなくくりで綴らせて頂きました。


日本語を大事にしつつ英語圏の方々ともコミュニケーションを取る方法を模索することが、日本が世界で生き残っていく道ではないかと私は思います。



平成28年1月20日

さんそん


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