人は光になれる 勇気を与えられる【社会】

どうも皆さん、さんそんです。


今日はけっこう明るい話題を提供しようと思っているのですが、最初に社会カテゴリのサムネをこんな暗い画像にしてしまったがために何だか暗そうに見えますよねwスミマセンw



私たち一人ひとりという存在はちっぽけなものですが、それでも何か、誰かのためにできることがある、そう思ったことはありませんか。


昨日は震災から5年の節目の日でした。今日はあの震災の時に、人の心に光や勇気を与えてくれた、そんな人々を少し紹介したいと思います。


「また再建しましょう」


只野昭雄さん、被災時82歳。

只野さんは岩手県大船渡市で妻の八百子さんと共に旅館を経営していました。


しかし、震災で旅館は全壊。
只野さんご夫妻は震災から3日後に自衛隊に救助されました。


その際、只野さんは記者から「大丈夫ですか」「不安ではありませんでしたか」との質問に対し

「大丈夫です!」
「チリ津波も体験してるから大丈夫です!」
「また再建しましょう!」

と、笑顔で答えられました。



大船渡市は津波などによって419名が亡くなり、79名の行方不明者が出ました。

あの惨状の中で、「再建しましょう」という言葉を笑顔で語ることが、被災者や被災してなくとも被災地を思う人々にどれだけ勇気を与える言葉となったでしょうか。


年齢がバレるのですが、私は震災の日、翌日が愛媛大学の後期試験だったため愛媛に居ました。

やたら携帯が繋がらず不在着信ばかりが増える中、宿泊先の部屋のTVを点けた時に大きな漁船が流されるのを見て絶句しました。


画面越しの自分がこうなのですから、現地、それも沿岸部におられた方々の心中は如何ほどだったのか、私には想像がつきません。


しかし、その中にあって、あの笑顔、あの言葉。

試験を終え、広島に帰った私はTVを前に涙が止まりませんでした。



只野さんは翌年6月に旅館を再建しましたが、その3ヶ月後、旅館の再建を見届けるかのように息を引き取られました。享年83、間質性肺炎でした。


小さな掌でも与えられる勇気


続いては震災当時福島市にいた11歳と10歳の姉弟をご紹介します。

広野諒くんと広野あみちゃん。


姉弟は震災後、福島市と被災地の太平洋沿岸を結ぶ国道で朝夕、ある“日課”を行っていました。


それは

拠点と被災地を往復する警察や自衛隊にエールを送る

ということでした。


姉弟は上の写真のようなプラカードを掲げ、国道を走る自衛隊や警察の車両に、「お疲れ様でした」と声をかけながら手を振っていました。


姉のあみちゃんはインタビューで

「自衛隊や警察の方の中で、子供とか家族と別れて来てくれている方もいると思うので、手をふろうとしました。」

と応えていました。



自衛隊や警察の方も

「元気をもらうといううか、こっちももっと頑張ろうという気持ちになる。」

「(遺体の捜索などで)少なからず心を痛めている者もいるなかで、子どもたちの声援や応援に本当に励まされております。」

というコメントを残しています。



姉弟の行動はなかなかできることではありません。

震災後間もない時、誰もが自分や家族のことで精一杯という中で、こういう行動ができるというのは一人の人間として見習わなくてはなりません。



自分の知り合いの自衛官も災害派遣で福島に行っていました。

災害派遣は「勝利なき戦い」と言われています。被災者同様、現地で救助活動等に従事されていた警察、消防、自衛隊の方々も大変辛い思いをされたことと思います。


被災地から帰ってきた知り合いから話を聞いて、自分が被災地・被災者、そこで従事する方々に何もできることがないという無力感も感じました。


しかし、あの姉弟のように、何気ないことから勇気を与えることができる、そう思えることができ、その経験は、2年前の土砂災害の時の自分の行動力となりました。



自分たちにも何かできることがある。

それは些細なことかもしれないけど、相手にとってはかけがえのない、勇気を与えてくれることなのだ、と。

私は2人から学ぶことができました。


最後に、私の大好きな言葉の一つを添えて終わりたいと思います。


「人間はみんな、自分自身の力で光になれるんだ。」

マドカ・ダイゴ




平成28年3月12日

さんそん


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