保育園は“NIMBY”?子供の声は「騒音」?【子育て・教育】
どうも皆さん、さんそんです。
今日の広島は昼過ぎから大雨…
ずぶ濡れで帰宅することとなってしまいました。
皆さんも、雨に打たれた際は風邪を引かないように暖かくしてくださいね。
さて、今回は昨今話題となっている「保育園」に関する問題です。
ですが、今回取り上げるのは「保育園落ちた!日本死ね!」ではなく、「子供の声がうるさい」という理由で保育園が開園できないという前述の匿名ブログとは逆のことです。
また、これに合わせて私の考えも述べさせていただきたいと思います。
保育園はNIMBYなのか
昨日、4月12日に千葉県市川市は4月に開園予定だった私立保育園の建設を断念。これに対して全国から抗議の電話・メールが相次いだ。以下、ニュースより抜粋。
千葉県市川市で4月に開園予定だった私立保育園が「子どもの声でうるさくなる」などと近隣住民から反対されて建設を断念したことが波紋を広げている。
(中略)
市川市の待機児童は昨年4月時点で373人と全国市区町村で9番目に多く、市や関係者も定員108人の保育園新設に期待していた。市によると、この日「断念に至る前に行政としてちゃんと関わっていたのか」「一部の住民の意見で中止になるのはおかしい」といった意見が北海道から沖縄まで全国から届いた。断念に異を唱える声が多かったという。
(中略)
周辺は一戸建てが中心の閑静な住宅街で、高齢世帯が多い。約30年前から住む男性(75)は「静かに暮らしたいと思ってここに家を買ったのに、いきなり保育園ができると言われて驚いたし、困った」と言う。毎日新聞4月12日(火)22時15分
皆さんは
“NIMBY施設”(ニンビーしせつ)
という言葉を聞いたことがあるだろうか。
“NIMBY”とは“Not In My Back Yard”の略称で、「俺ん家の裏庭に入るな!」が転じて「施設や建物の必要性は認めるが、自分の家の側には建てないで欲しい」
と主張する住民や態度を指す言葉を意味し、その主張に晒される云わば「迷惑施設」というのが“NIMBY施設”だ。
典型例としては、発電所や火葬場、刑務所などが挙げられ、近年では「子供のうるささ」から保育園や幼稚園もNIMBYとして扱うケースが増えている。
私は大学で環境問題に関する学問を学んでおり、このNIMBY問題もまた住環境・地域環境として学習・議論したことがある。
ハッキリ言って、
NIMBY問題は当事者どうしが歩み寄らないと解決しない。
今回で言えば、行政と住民双方の話し合いの姿勢に問題はなかったのかというとこが焦点ではないかと思う。
そもそも「子供の声」を理由に保育園をNIMBY扱いしていることに一言申したいが、それは後々話すとして…
歩み寄り、例えば、今回市川市は閑静な住宅街に保育園を建設することに対して十分に説明会を行ったのか。うるさいという苦情に対し、防音壁・ガラスの設置などの提案をしたのか。
一方で住民は、どの程度なら彼らの主張する「子供のうるささ」を許容できるのかを市川市側に提示していたのか。
これらが非常に気になるポイントだ。
記事や記事以外の今回の問題に関する情報を見る限り、市川市は説明会を幾度と開き、防音ガラスの設置や、交通整理員を配置することなどを提案したが受け入れられなかったという。
私は市川の住民でないから、その土地の詳細な立地等は分からないが、行政側がこれだけ譲歩しているのに、と私の目には映る。
果たして住民サイドに譲歩の余地はあったのだろうか。個人の利益が再優先だと常に利己的に考えていたのではないだろうか。
子供の声は果たして騒音なのか?
先に保育園がNIMBY施設たる理由として「子供の声のうるささ」を挙げた。
つまり、保育園をNIMBY施設と考える人たちにとって子供の声とは「騒音」なのだろう。
では、法的に「子供の声」は騒音足りえるのだろうか。
全国でも珍しく「子供の声」を騒音に含んでいた東京都では、昨年4月より改正された「都民の健康と安全を確保する環境に関する条例」が施工され、「子供の健全的な育成の妨げになる」として子供の声を騒音から除外した。
世界に目を向ければ、ドイツは子供の声を騒音としない法案を2011年に可決。ベルリン市においてはその前年から動きがあり、
「子どもの発する騒音は、自明な子どもの成長の表現として、かつ、子どもの正当な発達の可能性を保護するものとして、原則として社会的相当性があり、したがって受忍限度内である」(6条1項)
という内容の条例を作成している。
法的に「子供の声」は騒音足りえるのか。国内・外を見ても「子供の声」を騒音とするよりもしないようにする流れで動いている。これは頭の隅にでもおいておいて頂きたい。
ここまで書くと「お前は保育園のそばに住んだことがないからそんなことが言えるんだ」と言われそうなので言っておくが、私の家から徒歩2分としないところに幼稚園と保育園の複合施設がある。5分歩けば小学校、家の目の前には町内で一番大きい公園がある。
そんなだから、日中自宅にいて子供の声を聞かないということは土日でもない限り滅多にない。私の家の前を通り、朝から元気に登校する児童に「おはよう」と声をかけると私の倍の声で「おはようございますっ!」と返してくる。うるさいだなんて思ったことはない。
このように、NIMBYと思うかどうかは人それぞれの程度の問題だ。
同じ立地で同じモノを聞き、どう感じるかなど人それぞれとしか言いようがない。
そして、幾ら自分がうるさいと思うからといって、保育園前の路上に子供を怖がらせる看板を立てたり、園児を迎えに来た保護者に手斧を見せ、地面に数回振り下ろすなどして脅迫したりするのは論外だ(実際に起こったことです)。
まさに下衆の極み、鬼畜の所業に他ならない。
子供が保育園に入れなければ「日本死ね」と憤る人あり。
保育園を作ろうとすれば「うるさいから作るな」と憤る人あり。
いつからこんな日本になったのだろうか。
保育園や待機児童の問題は「国」ではなく「地方」の問題
「日本死ね」ブログが国会で取り上げられるという珍事によって、あたかも保育園や待機児童の問題は国政レベルの問題のように思われている人が多いのではないだろうか。
そこで一つ皆さんに質問をしよう。
待機児童は全国各地の自治体で起こっていることですか?程度も同じ規模ですか?
答えはNOです。
場所によって待機児童の数は桁が違う。
地方の田舎か郊外なら定員に余裕のある保育園もある。
では、下の画像を御覧ください。
これは、「日本死ね」騒動の後に厚生労働省が平成25年4月時点での保育所や待機児童の状況をまとめた資料のもので、都道府県別に待機児童の数で色分けがされている。
待機児童数の
1位は東京都で8,117人
2位は沖縄県で2,216人
3位は神奈川県で1,482人
4位は大阪府で1,390人
5位は千葉県で1,340人
ちなみに今回取り上げた市川市の待機児童は昨年4月時点で373人と全国市区町村で9番目に多く、建設を断念した保育園の定員は108人であった。
この画像を見ればわかるように、待機児童の問題は首都圏や近畿圏、規模の大きい都市を持つ都道府県に集中している。
すなわち、待機児童の問題は地方自治体のレベルで取り組まなければ根本的な解決には至らない。
されども民進党をはじめとする左派・リベラル野党は国政の場でこの議論を政府に投げかけている。
一方で、東京都の舛添知事はこれだけの待機児童を抱えながら都の所有地に保育園ではなく韓国学校を建てようとしている。
繰り返すが待機児童問題は国政ではなく地方自治体の問題だ。
国会前で「保育園落ちたの私だ」とプラカードを掲げる暇があれば、都庁前で保育園の作りやすいように条例を改正しろと訴えるほうが賢明だ。
子供は国の宝だ。
その子供がすくすくと育つ環境を作ること、その環境を寛容に受け止める大人の対応をすること、それが今後日本が成長するうえで日本国民に求められることの一つだと私は思う。
平成28年4月16日
さんそん
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